〜 あとがきに代えて 〜より抜粋
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70年代という不思議に空白な時代に幕が下がりはじめた頃、この国は戦中・戦後の負債の精算を宣言し始めていた。そして私も修行の時代を終え、外の世界にレンズを向けねばならない時を迎えていた。それは、遠山谷で霜月祭りと出会う直前のことだった。 自然の中での風土と人間との交歓、長い時間の中で編み綴られた生活と刻との連環、そんなものは何故か疾うに私の中では凍りついていたし、都会では消えてしまっていた。けれど知らないうちに失っていたものだからこそ、それを求める気持ちもしらないうちに強くなっていたのだろう。失ったものを求める気持ちが、私を遠山へと導いてくれた。 瞬く間に七年の月日が流れ、生命の深遠な輝きである祭りとその輝きを育む谷の人々を、私はフィルムに記憶した。そして霜月祭りの写真展を開く。あの頃、時代はバブルと呼ばれる爛熟の時代の頂点を迎えて、大方の人々は自分達が失ったものなどには気にもとめず、虚栄に酔いしれていた。写真展が終わると、その様な時代の空気に私の心は日一日と耐えられなくなり、物質偏重の社会から逃げだした。ところがたまたま選んだ1万キロ彼方の逃亡先で、かって遠山で覚えたのと同質の感動に、再び出会ってしまった。
ユーラシアの西の国々は、同じ大陸の東端の島国とは何もかもが異質だった。けれど此処でも人々は、自然を緯糸に歴史を経糸に綾織りながら、今も日々の生活を享受していた。日本では山深い谷でしか出会えなかった生命の輝きが、欧州では都市にも田舎にも在る。何時しか、この違いを識ることが、異国での私の目的となり、お陰で様々な衝撃的な体験ができた。もしこの体験と心からの視点がなければ、帰国した私がもういちど遠山での仕事を見直し、今回この写真集を制作するということもなかったかもしれない。 深山幽谷・遠山の単なる記録の集大成としての本をつくりたかったのではない。遅れてきた私が、'80年代の日本で、辛うじて出会うことのできた原風景の記憶。私達が意識して、或いは無意識に、捨て去ってきたものたちへの鎮魂歌。二十世紀末のこの社会を写すあわせ鏡のひとつ・・・・・・・として。
1995年12月吉日 写真家 中川賢俊
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